千のポスクロで異国巡り

2019年3月からpostcrossingを始めました。

国立近代美術館、高畑勲展に行ってきた。詳しく。偉大さを知る



国立近代美術館で7月2日から10月6日までやっている高畑勲展に行ってきました。

www.momat.go.jp

takahata-ten.jp


f:id:sennomiti:20190706223816j:image

 

アクセスはメトロ竹橋駅すぐ、都営地下鉄九段下駅から15分徒歩。皇居のすぐ近くですね。


f:id:sennomiti:20190706223950j:image
こんな建物です。
f:id:sennomiti:20190706223827j:image

高畑勲監督といえば火垂るの墓平成狸合戦ぽんぽこかぐや姫などジブリ映画監督のイメージが強いですが、ハイジや母をたずねて三千里など世界名作劇場の監督をしていた時期もあります。

展示物を章ごと振り返っていきたいと思います。


f:id:sennomiti:20190707110628j:image

第一章出発点アニメーション映画への情熱


f:id:sennomiti:20190706232305j:image

展示室に入ってきて一番最初に目に入ってくるのは年表です。高畑勲監督がどんなアニメ制作に関わってきたか一度に見ることが出来ます。監督作品他に風の谷のラピュタではプロデューサーとして関わってきたり、ルパン三世1stシリーズの演出をしたり、高畑勲監督の企画書でドラえもんのアニメ化が決まったりと。自分の監督作品だけでなくまたジブリ世界名作劇場に限らず日本のアニメに大きな影響を与えた人だと知ることができます。

東映動画(現東映アニメーション)に就職し、演出で関わった「安寿と厨子王丸」では女優にポーズをとってもらい絵に落とし込んだり。またオオカミ少年ケンでは1話完結であるからこそ滑稽な話から深刻な話まで演出方法の学びがあったといいます。オオカミ少年ケンの展示されている動画はポップな音楽で楽しいイメージです。

1968年「太陽の王子ホルスの大冒険」が初監督作品。アニメのストーリの遅れで放送局とトラブルもありつつ、三年半放送します。ホルスは初めて知って、ホルスの資料がたくさん展示されてました。他のアニメスタッフのストーリー理解を深めるため、コマごとに緊張開閉動など心情の様子を色を付けて分かりやすくしたり、人物の相関図を書いたり、高畑勲監督が自分の考えていることを他スタッフに共有できるよう、工夫を重ねていたことを知りました。また人間と悪魔の心を持つヒルダという魅力的なキャラクターも出てきます。



f:id:sennomiti:20190706232346j:image

ja.wikipedia.org

高畑勲監督が翻訳、現代美術で独特な表情の子供を描く奈良美智さんがイラストを描いた「鳥への挨拶」という詩画集も展示もされてます。

第二章日常生活のよろこび アニメーションの新たな表現領域を開拓

アルプスの少女ハイジ

高畑勲監督は東映動画を離れ世界名作劇場の監督を務めることになります。


f:id:sennomiti:20190706235828j:image

“子供の心を開放し生き生きとするアニメを作りたい”という想いが出てきたそうです。名作劇場第1作目のハイジは演出高畑勲さんレイアウト宮崎駿さん。レイアウトシステムというのを考え出し、宮崎駿さんが実行しました。必要な背景とキャラクターを描きどう動かすか決まってから原画を描くシステムで、出来上がりを想像して作るため無駄な絵コンテが出ない方法を取りました。レイアウトシステムについては漫画を使ってわかりやすく説明されている他、高畑勲監督の動画が展示されています。また、1年間毎週1話と区切られている中で話がスムーズに進んでいくよう事前設計をして作ったそうです。ハイジで描いたのは生き生きとする子供他衣食住や豊かな自然だといいます。春夏秋冬のアルプスの様子を描いた背景そしてキャラクターを重ねたものが展示されてます。一枚絵と違って背景も絵も違う人が作っているのに自然ですよね。生き生きとした様子はオープニングのブランコや雲に乗る姿や1話終わりの洋服を全部脱いでピーターのもとに駆け寄るところに顕著に見えます。ハイジはスイスでロケハンして現地の人に会い景色を見て作られたといいます。ジオラマも展示されてました。


f:id:sennomiti:20190706235150j:image
f:id:sennomiti:20190706235226j:image

ジオラマ中に電車が通っている本格的なものです。ジオラマをつくることでハイジのいるアルプスの背景に矛盾が起きないようにする事のほかにアニメスタッフのハイジの世界のイメージを共有させやすくするための意味合いもあったのかなと思います。こだわりがすごいですね。よくできているのでゆっくり見てください。ここは撮影可能です。また、日常をリアルに描くためヤギの成長やチーズの作り方のメモも残されています。

の展示もこちらにあります。母をたずねて三千里がイタリアジェノバからアルゼンチンまで行くのだとは知りませんでした。三千里ってかなり長く旅しているイメージはあったんですが、そんな国を渡る話だったんですね。赤毛のアンは原作のニキビ顔の女の子で将来美人になる設定にこだわる高畑さんにアニメーターは顔の造りに苦労されたのだとか。原作の会話の面白さを活かしたアニメにしたとか


f:id:sennomiti:20190707094543j:image

 第三章日本文化への眼差し過去と現在の対話

アルプスの少女ハイジ母をたずねて三千里赤毛のアンこれまで海外の文学作品をアニメ化してきた高橋勲さんは日本を舞台にした作品を描き始めます。

大阪西成で自らホルモン屋を切り盛りする少女の話です。

宮沢賢治原作。アニメーターがチェロを練習し演奏シーンにリアルを求めたそう。

ジブリ映画。14歳の清田と4歳の節子。未来に起こるかもしれない戦争に対する想像力を子供に身に付けさせるため戦争を題材にしたアニメを作ったそう。鬼気迫る戦時中のありさまを背景美術家の山本二三がリアルに描いています。清田と節子と蛍の特大パネルが展示されているのですが、その光景は儚くも美しいです。

27歳の頃と小5のタエ子原作はそれぞれ章が分けられていたのですが、脚本で大きく変え飛び飛び小5の、自分を思い出す話構成に。当時は昔の振り返りといえばセピア調で表現することが定説だったそうですが、27歳の頃の背景は鮮明に小5の頃は記憶が遠い表現として背景を白くもやがかかるようにし差別化したそうです。

f:id:sennomiti:20190707102759j:image
開発が進む多摩市に対し狸が人間に対抗する話。自然がどんどんなくなっていく中で高
畑勲さんはこれを記憶映画という。一生懸命しているのに人間に反撃できない滑稽さやかわいささえ感じる狸たち。監督原作作品でCGを初めて使った作品でもあるそう。

第四章スケッチの躍動新たなアニメーションへの挑戦

これまでリアルで実在するアニメを徹底してきた高畑勲監督ですがリアリティを求めすぎると見る側の想像力を掻き立てないと考え始めます。

 


f:id:sennomiti:20190707102741j:image

 見かけ上のリアリティを排除する形ででてきたのがとなりの山田くん。デジタル彩色でありながら通常の三倍まで作画されている。見かけ上のリアル排除により見る側と距離を近く想像させ共感させる作品になっている。

かぐや姫の物語

 高畑勲監督最後の作品。日本人なら誰でも知る竹取物語を題材にした作品を作りたいというのは半世紀以上前アニメ作り始めた頃から思っていたことだそうです。女性として幸せになってほしいという親の気持ちと自分が生きたいようにいたい気持ちとその葛藤が今の私にも伝わってきます。大好きな作品です。かぐや姫が走るシーンは勢いのあるペンで描き、アニメとして動かすことでかぐや姫の苦しみや逃げ出したい感情あらわにしている様子がダイレクトに伝わってきます。ここではかぐや姫の作画について監督のインタビュー動画が展示されてます。1フロア使ってかぐや姫の展示は見ごたえがあります。走るシーンや捨丸と空を飛ぶシーンの原画と実際のアニメとみることが出来ます。一番知りたかった作品で展示も大きくされていて満足しました。

f:id:sennomiti:20190707103349j:image

f:id:sennomiti:20190707103403j:image

グッズ

グッズは作品ごとかなりありました。ホルスや世界名作劇場かぐや姫ジブリのものと大充実です。

f:id:sennomiti:20190707104736j:image

f:id:sennomiti:20190707104803j:image
私はポストカードを4枚買いました。

f:id:sennomiti:20190707104826j:image
 
 

感想

今回の展覧会に行ってみて高畑勲監督はジブリ世界名作劇場だけでなく多くの作品に関わりアニメに深く影響していること。海外へのロケハンなどリアルを求めまたジオラマや相関図づくりなどスタッフとどのような作品にしたいか見える形で共有していったこと、無駄な絵を作らないためにレイアウトシステムを編み出し用意周到にストーリーの進みを計算して原画づくりに取り組んだこと。晩年は見かけ上のリアルを排除することでより共感やより伝わることを重視するなど、ずっと新しい手法を追求していった人なのだと思いました。にしても大ボリュームの展覧会でじっくりでなくても2時間は廻るのにかかるほど、アニメインタビュー動画原画の数々でよく知ることができた展覧会でした。子供の頃世界名作劇場が大好きでジブリ作品も好きな私にとってはこれ以上ないいい展覧会でした。ぜひ行ってみてください

f:id:sennomiti:20190707110606j:image
 
 

私のツイッター、ポスクロ垢です。

https://twitter.com/sennomiti21?s=06

 
<a href="https://art.blogmura.com/ranking.html?p_cid=11005112" target="_blank" ><img src="https://b.blogmura.com/art/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 美術ブログへ" /></a><br /><a href="https://art.blogmura.com/ranking.html?p_cid=11005112">にほんブログ村</a>

ドービニー展に行ってきた

ポストカードにはまった要因が美術館にあるのでたまには展覧会のことも書いてみることにしました。
f:id:sennomiti:20190627212041j:image
一昨日新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館へ行ってきました。西新宿で用事あることあってふらっと行くこと多いんですよね。今やっているのはシャルル=フランソワ・ドービニー展。19世紀のフランスで風景画を描いていた画家です。山梨広島東京で巡回していて秋に三重です。

www.sjnk-museum.org

 

特に意識しているわけではないんですが、印象派印象派になり始めの頃の作品の展覧会に行く機会が多かった私。ドービニーって響きを初めて聞いたような気がしましたが、家に戻り行ったことのある美術館のパンフを見渡していると静岡市美術館で開催していた「ターナーからモネへ」という2017年秋に開催していた展覧会で1点だけドービニーの「オワーズの川の朝オーヴェール」の作品がロマン主義のカテゴリーで展示されていたようです。

 

ドービニーの作品が主になって展覧会をするのは国内初だそうです。副題“バルビゾン派から印象派への架け橋”を初めて聞いたとき印象派への先駆者ってターナーとかフランチェスコ・グァルディのイメージがあったんですよね。だからドービニーはどんな形で印象派の架け橋になったんだろうと興味がムクムク湧いてきました。

 

東郷青児美術館1階ロビーにはドービニー展の紹介アニメが繰り返し放送されていました。文字で見るより頭に内容が入ってくるいいアニメだと思いました。ユーチューブからも見られるのでここに貼っておきます。

www.youtube.com

 ドービニーの生涯

ドービニーが絵を描き始めた1840年ごろのフランスでは風景画自体全く評価されないというか俗物扱いだったそうです。唯一評価された風景画は宗教的な意味合いを持つものだったといいます。宗教にある1シーンを風景とともに描いたものですね。実在する風景というよりそのシーンに合うような風景をイメージしたものでした。ドービニーは歴史画家のもとでそういった作品を作り2度ローマ賞を逃したことから、思い切って風景画に挑戦していきます。 ドービニーが描いていくのは見たまま自然そのものを写実的に描いていくことでした。


f:id:sennomiti:20190627212125j:image

バルビソン派はフランスの田舎にあるバルビソン村に集った自然そのものを描く画家たちでコローミレーテオドール・ルソートロワイヨンディアズデュプレドービニーの7人が中心的存在です。そのうちコローとは生涯の友人になります。

そしてその頃19世紀後半パリを起点に鉄道網が発達し郊外に旅行にしに行く人が増える中、風景画家たちもスケッチのために滞在したりあちこちへ旅行しながら絵を描くようになっていきます。ドービニーもオランダへ旅行したそうです。


f:id:sennomiti:20190627212138j:image

ドービニーは1857年ボタン号という小舟を作ります。画材を持ちながら絵を描くのに限界を覚えたドービニーは画材を積んだ船に乗り川でみた景色を絵で描くようになるのです。特にオワッズ川というベルギーからフランスを通りパリ辺りでセーヌ川にぶつかる川を好み絵を描きました。釣りをする人たちや洗濯をする人、水を飲む牛が風景とともに描かれています。展覧会ではボタン号のレプリカがありました。下の写真は船の旅という版画集の一枚です。


f:id:sennomiti:20190627212231j:image

印象派への架け橋とは

ドービニーが印象派への架け橋とあるのは、ありのままを描いたこと、見たままの印象を見る人に与えるため筆遣いの跡を効果として残した大胆な描き方でこの2点が印象派へ繋がっていったとのこと。また船での移動に絵を描いたことはモネも影響受けているといいます。


f:id:sennomiti:20190627212354j:image

 

今回ドービニーの展覧会に行って風景画ってのんびり見れていいなってことです。行ったことのないフランスの川の鳥が飛び人々や牛が川の水を求めやってきて、画家は船の上から景色を観察して絵を描いている。空の色がほんのり映った川の色がとても綺麗だったな。海よりも川っていうのは多くの人間にとって一番身近な水なのかもしれません。

私の家の近くにあるのは浅川です。飛んでくる白い鳥や複雑な水の流れ、季節ごとに咲く川辺の花たち。ジョギングや犬の散歩、自転車やたまに釣りをする人。自分の川に対する思いと重ねてドービニーの作品を見てました。

ドービニーの作品そして生涯を知れるいい展覧会でした。

 ショップへ

ショップではポストカードを一枚買いました。私が好きだなって思った作品はポストカードになってなかったんですが、ショップで見て結構好みだなって気づいて。ドービニーに他有名な美術作品や常設の東郷青児ゴッホのヒマワリなどのポストカードがありましたよ。
f:id:sennomiti:20190627213044j:image